環境運動に関わっている友人が多かったり、環境系の媒体に原稿を書いていたりする割に、”環境に悪い”といわれる2ストエンジンのバイクが大好きなマスマニアです。
「エコ」の反対語としては「エゴ」という言葉がよく使われます。肯定的な意味で使われる「エコツアー」とか「エコプロダクト」とかの語に対して、「エゴツアー」とか「エゴシュリンプ」とか。
周辺の住民とか地球環境にも配慮している「エコ○○」に対して、自分のことしか考えていない「エゴ○○」みたいな使われ方ですね。
でも、環境保護の活動だって基本的には「エゴ」なんだと思います。
良い言い方をすれば、自分が好きな地球や環境だから守ろうと思うわけで。
悪い言い方をすれば、地元の人が収入のために誘致しようとしてる空港に都会の人間が反対したり、自分たちは物質文明の恩恵にどっぷり浸かっておきながら、発展を望む途上国の人たちに対して「そのままがいいんだよ」と言うことがエゴでなくて何なんだという話しです。
まあ、もちろん物質的な発展の先にあまり良いことがなかったことを知っているからこそ、言えることだという考え方もわかりますが。
もっと極論すれば、「地球環境のために努力している自分が好き」だから環境運動をやっているんだから、まさにエゴじゃん!って言い方もできるでしょうし。
かといって、環境運動をしている人を批判しているわけではないですよ。僕も関わっていることですし、たぶん現代社会が直面している最も重要な問題のひとつだと思っています。
でも、だからこそ「エゴからスタートしている」っていう視点が必要だと思うんですよね。
逆に、その視点から出発していない活動って何となく違和感を覚えてしまいます。
「好きだから守る」とか「自分が気持ち良くすごすためにきれいにする」「自分がしたいからする」っていう“エゴな気持ち”がスタートでいいと思うんです。
僕の場合は、いつまでもバイクに乗っていたいから、そのためにほかの場面では石油を使い過ぎたり、空気を汚しちゃってバイクが禁止されたりしないように配慮するってことですかね。
すごく自分勝手でエゴな気持ちだと思うんですけど、まあ、サーファーが自分たちの海岸のゴミを拾ったりするようなものです。(だいぶ違う?)
環境とか温暖化の問題って、何となく考えるのに暗い気持ちというか、後ろ向きな感じになってしまうのは、このエゴな気持ちを否定してしまっていたことというか、「自分を殺して地球環境のことを考えろ」って言われてる気になってしまうことが原因だったんだと思います。
だから、あんまり人が集まらなかったりしたのだろうと。
最近では、そんな感じもだいぶなくなって来ましたけどね。
この本の中で著者が言おうとしていたことも、たぶんそういうことなんじゃないかと勝手に思ってます。
だから、この本を見た時は「言おうと思ってたことを先に書かれちゃった」って気分でした。
著者の意図が全然違ったらごめんなさい。
「エコ」の反対語としては「エゴ」という言葉がよく使われます。肯定的な意味で使われる「エコツアー」とか「エコプロダクト」とかの語に対して、「エゴツアー」とか「エゴシュリンプ」とか。
周辺の住民とか地球環境にも配慮している「エコ○○」に対して、自分のことしか考えていない「エゴ○○」みたいな使われ方ですね。
でも、環境保護の活動だって基本的には「エゴ」なんだと思います。
良い言い方をすれば、自分が好きな地球や環境だから守ろうと思うわけで。
悪い言い方をすれば、地元の人が収入のために誘致しようとしてる空港に都会の人間が反対したり、自分たちは物質文明の恩恵にどっぷり浸かっておきながら、発展を望む途上国の人たちに対して「そのままがいいんだよ」と言うことがエゴでなくて何なんだという話しです。
まあ、もちろん物質的な発展の先にあまり良いことがなかったことを知っているからこそ、言えることだという考え方もわかりますが。
もっと極論すれば、「地球環境のために努力している自分が好き」だから環境運動をやっているんだから、まさにエゴじゃん!って言い方もできるでしょうし。
かといって、環境運動をしている人を批判しているわけではないですよ。僕も関わっていることですし、たぶん現代社会が直面している最も重要な問題のひとつだと思っています。
でも、だからこそ「エゴからスタートしている」っていう視点が必要だと思うんですよね。
逆に、その視点から出発していない活動って何となく違和感を覚えてしまいます。
「好きだから守る」とか「自分が気持ち良くすごすためにきれいにする」「自分がしたいからする」っていう“エゴな気持ち”がスタートでいいと思うんです。
僕の場合は、いつまでもバイクに乗っていたいから、そのためにほかの場面では石油を使い過ぎたり、空気を汚しちゃってバイクが禁止されたりしないように配慮するってことですかね。
すごく自分勝手でエゴな気持ちだと思うんですけど、まあ、サーファーが自分たちの海岸のゴミを拾ったりするようなものです。(だいぶ違う?)
環境とか温暖化の問題って、何となく考えるのに暗い気持ちというか、後ろ向きな感じになってしまうのは、このエゴな気持ちを否定してしまっていたことというか、「自分を殺して地球環境のことを考えろ」って言われてる気になってしまうことが原因だったんだと思います。
だから、あんまり人が集まらなかったりしたのだろうと。
最近では、そんな感じもだいぶなくなって来ましたけどね。
この本の中で著者が言おうとしていたことも、たぶんそういうことなんじゃないかと勝手に思ってます。
だから、この本を見た時は「言おうと思ってたことを先に書かれちゃった」って気分でした。
著者の意図が全然違ったらごめんなさい。
# by masumania | 2007-02-16 01:22 | 気になるニュース・言葉