2006年 03月 28日 ( 1 )

 

線の引き方

 最近、一緒にがんばって来た同じジムの仲間が2人ほど選手生活からの引退を決めました。

 1人はタイトルマッチのかかった試合に敗れて。
そうとうキツイ練習を集中力を切らさずにこなしていたので、肉体的にも精神的にもかなり疲れていたと思います。それでも仕上がりは上々で、「イケる」という思いは本人にもジムの人間にもありました。しかし、結果はKO負け。以前にも対戦したことがある相手だったのですが、その時は判定負けでした。同じ相手に2回敗れたということもあって、本人も辞めることを決めたのだと思います。どれだけ練習をこなしていても、どんなに仕上がりがよくても、一発もらってしまえば残酷な結果になってしまう格闘技の厳しさを改めて感じが一戦でした。

 もう1人は、だいぶ前に辞めることは決めていたのですが、この度正式に引退試合とセレモニーの10カウントを行い、選手生活に幕を引きました。セレモニーの際には本人はもちろん、セコンドまで全員涙ぐむ始末。終わった後も控え室に多くの選手や関係者が来てくれて「お疲れさん」と声をかけていました。選手としてはベルトには届かなかったのですが、これだけ多くの人に認められていたのは、やはり本人の人徳だと思います。本当にお疲れさまでした。


 もう1人、前のジムで一緒だった(今は違うジムの所属)友人も最近になって引退を決めました。彼とは歳が同じだったり、キックを始めた時期も近かったり、同じような業界で仕事をしていることもあって、仲が良かったのですが、やはり最後の試合に敗れて辞めることを決意したようです。やはり体力的にも、気持ち的にも選手を続けていくというのは厳しい選択なのだなと感じました。

 身の回りで、これだけ引退話しが続くと、自分も意識せざるを得なくなって来ます。
 確かに最近、体力は続かなくなって来たし、ケガや疲れが抜けるのも遅くなって来ました。でも、それ以上に感じるのが“気持ちの勢い”みたいなのがなくなって来たこと。スポーツ選手がよく口にする「モチベーションが下がって来た」というのとは少し違うと思うのですが、昔だったら「やってやる」という思い込みや勢いだけで突っ走れたのが、この歳になると自分に対しても周りに対しても、もう少し面倒くさい“理由”が必要になってきます。「なぜ続けるのか?」とか「どこまでやれば納得するのか?」とか。

 キックに対する思いは昔と変わっていなくても、ある程度の年齢になると仕事や家庭のことなど、キックのほかにもやらなければならないことが増えて来るので、昔のように「やりたい」という気持ちだけで突っ走るわけにはいかなくなって来ます。
 若い頃なら周りの人も「何か知らないけど、やりたいんだろうな」と思っていてくれたものが、30も過ぎるとその「何か知らないけど」の部分を説明しなければならなくなって来るのです。
 「なぜ、仕事の忙しいなか、無理に時間を作って痛い思いをしにいくのか?」とか「結果が出ているわけでも、お金になるわけでもないのにいつまで続けるのか?」とか。
 しかし、本人の中でもその辺の気持ちはうまく言葉にはならなかったりするので、余計に始末が悪いのです。

 私もこんな仕事をしていますが、未だに自分がなぜキックをやりたいのか? この歳になってまで続けているのか? を人にわかってもらえるような言葉にすることはできません。

 「チャンピオンになるまで」とか言えるうちはいいのかも知れませんが、多くの場合、選手の考える目標は「納得できるまで」とかいう曖昧なものだったりしますから、周りの人たちに理解してもらうのは相当に難しいようです。でも、いつまでやっても本当の意味での「納得」なんて、なかなかできるものではないので、結局どこで本人が線を引くかなのだと思います。
 ただ、一昨日の試合のように39歳でチャンピオンになってしまう人もいたりするので、一概に年齢を言い訳にするわけにはいきませんが。

 さて、私の場合、その線はどこなのでしょうか?

 とりあえず、そういう色々な思いが「言葉にならない」からこそ、続けているのだと思いますが。
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by masumania | 2006-03-28 23:29 | キック/格闘技